真実の愛へ 愛の扉へようこそ


  


愛は無条件で無償です

人の気持ちを受け入れ期待に応えることは大事かもしれません。その人のためになることでしょう。
と同時に、互いに甘えが信頼や安らぎになりたいものです。
愛することは愛されることでもあります。
そして、人は自分が相手を愛するように愛されたいと思うものです。

時に、愛は忍耐という厳しさも伴います。
互いが互いのために思いやれるよう愛の寛容さを関係性の中で見つけ、気付いてください。


見極め

人は誰しも過去において苦い思いを経験しています。
そうやって、愛を知ることにもなりますが、過去は完全過去完了にして下さい。
今を生きることは、過去を忘れ、至ることです。
そして、今ある愛を信じるのです。強い気持ちで。

過去のある人は良いですが、今尚、過去を背負い居るのなら、越えられるのは本人のみです。
愛の試練、あなたはどう受け止めますか。

自分を成長させてくれる人と、楽にしてくれる人とは、違います。

愛の選択次第です。


愛するということ

愛されたいように相手を愛してください。


魂の結婚

人は、幸せを求め、現世では肉体と通して、感覚があります。
愛や結婚、そして心の安らぎを求め生きます。
そして、
霊の繁栄のため、この世で、子孫を残すことになります。肉体は、この世だけのものです。
魂は、永遠の場所へ、たどり着きます。
霊界での結婚は、一つになることです。愛の融合です。
それは、肉体は存在しないので、霊人格の結合=霊格の完成です。
二つの魂が完璧に一つになるので、幸せの象徴となります。

精一杯、この世で生きることは、後の永遠の魂の準備との言えるでしょう。


パトーナー

自分を成長させてくれる人と、自身を楽にさせてくれる人とは違うものです。

人は誰しも安らぎたい、安心してもたれかかれる存在を求めます。
見極めは大事です。
心の声に従いましょう。


愛に迷ったとき

わかってあげたい、なんとかしたい、と願う気持ちは、なかなか伝わりそうで伝わりにくいもので、
時に誤解になってしまうこともあります。

「無」とは、無限を意味します。と、同時に、人間の無力さ、無知を知ります。

そんな中で、「見守ること」は忍耐と寛容愛の賜物です。

「沈黙」「黙想」「微かな笑み」が導いて教えてくれることがあります。


願い、思いやること。それだけで十分です

忘れなくてはいけないこと、忘れてはならないことがあります。

痛みや怖れ悲しみなど心を縛りつける感情、出来事は、川の水が流れ去り、音が遠くに、景色が過ぎるように心から離し忘れましょう。
大切な思い、心通う愛のかけらは決して忘れずにいましょう。


怖れなくて大丈夫です

失いたくない、傷つきたくない、など、愛すれば色々な思いに苛むときがきます。
いつのまにか、執着へと変わっているのでしょう。
愛の心は自由です。
失うものはないのです。ただそう見える・感じるだけなのです。失って初めて得るものがあります。
相手の幸せを願い、愛を祈る思いでいましょう。


愛の意味

愛は、全てを導き、教えてくれます。
様々な出来事が愛を通して、伝え、学ばせてくれるのです。
愛の寛容さ、魂の癒し、宿りを感じましょう。


スタンス

距離は、お互いの時間の中で、余裕やゆとりを造ります。
恋愛関係にあっても、個としての時間や距離は大切です。よい距離を持ちましょう。
それが愛を育てるのです。


愛は時に

お互いの言動が、予想もしないことで傷つけ傷つきます。愛するがゆえに「わかってほしい」「同じ気持ちでいてほしい」という求める気持ちが生じ、相手に委ねてしまうことからくるのかもしれません。
愛は決して傷つけません。例えば、「気持ちのあり方、伝え方、理解」など人間の本質、愛の根源を知って欲しいとする天からの計らいなのでしょう。


愛の尺度

恋愛は出会いがあり、縁を全うする(別れ)という時が訪れます。
一緒に過ごした時間の長さはそれぞれですが、「確かに愛した」という愛の深さが存在します。
愛は未知なるもので満ちるもの、深いものです。
気づくか否かでもあります。


愛すること

愛の形は様々です。
愛し続けることは、何処にいても、その人のことを思い、願うことです。
言葉以上の目に見えぬ静かなる思い、沈黙の愛、黙想そのものです。


大切なのは

今あることです。
自分が置かれたところで、できることをするのです。
言動より、静かなる願い、愛の祈りを。

その人のため、幸せのために、願うことです。
たとえ、今すぐに届かなくてもわからなくても、願い続けることです。
いつかわかるそのときまで。


愛の壁に直面したときは

許すことです。許すことで、心が自由になり、癒しが訪れます。


愛とは

愛は試すものでなく、そのまま感じ、認めるものです。


信じる心

相手を信じたい、そして信じているということは、「相手を信じる自分の心」を信じるということです。


心の叫び

もう、なにも言わなくていいです。わかってもらおうと心を訴えなくていいです。
貴女の思いはわかるから。


分かりあえぬ寂しさは

一緒に居ることが愛、そして思い違いがあるにせよ沈黙の思い、それも愛、対極ですが、愛の「動と静」です。


沈黙の愛

黙って見守り、「成るとき」「わかるとき」を待ちましょう。


黙愛

時に黙って聞くことで相手に安心感、愛を伝えることがあります。


昨日と今日

『少憤多笑』
生きていると色々なことがあります。愛する人との誤解やすれ違いも時にはあるかもしれません。
貴女の笑顔で一瞬にして雰囲気が和らげることが可能です。
憤慨することがあったら、笑顔に変えていきましょう。昨日を忘れることで今日が生きられる場合もあるでしょう。


愛の祈り

愛は精神的な成長を促してくれます。真実の愛は、期待することなく愛することなのです。

他を愛で包むためには、まずは自身を愛で満たす必要があります。
それは、与えるための十分な愛に満ちていなければならないからです。
手の温もりのように、慈悲の心で愛を与えることです。
それは、愛を差しのべることを意味します。

もし、拒絶されたり、過去の辛苦を経験した人々がいたとします。彼らは、自分を認めてくれたり愛してくれる人が必要です。安心感、信頼感、無償なる愛に触れたいと望んでいるからです。何かをする以前に、一緒にいることで愛が示されることもあります。一緒に過ごすということは、その人に出来る大きな愛の表現でしょう。

愛の成功、愛の成就は、愛し続けることの中にあります。言動で示すこと以上、静かに見守るという黙想の中にも愛があります。愛は、バランスの鍵でもあります。

愛は様々なことを教えてくれます。人は、愛の中で成長します。
そのためには、傷つくまで愛し続け、与え続けるのです。どんなときも恐れず、艱難辛苦に遭遇したとしても、与え続けるのです。「行動の愛」そのものです。全て沢山の愛が込められています。

信じて愛すること、そしてどんなことがあっても微笑んでいるようにすることで、愛が応えてくれます。

人は環境や状況、感情があります。人間ですから。どんなときも愛し続けることは容易くないことも否めません。自分を動かしているエネルギー、愛の補給が必要です。

喜びは愛、力です。喜びに満ちた心は、愛に燃えた心によってもたらされるものなのです。
そういう状態いることは、幸せを追い求める必要はありません。他者への愛の心により、与えられる産物、ギフトがやってくるからです。愛のマジックです。


思う気持ち

相手のために祈り願うことです。どんな状況にあっても愛をもって、愛の目で見守り愛してください。
人には様々な思いと同様に生きてきた足跡が過去となって存在しています。中には、思い出す度に辛いことなど・・・。心の奥の悲しみ痛みを取り去り、癒し、それらを糧として、今これからを生きて欲しいと願います。
ささやかなことも愛する人とのかけがえのない時間を大事に幸せの宝をみつけてください。


差異を越えることは

相手の気持ちになって思うことです。
とかく人間関係において、様々な誤解や不理解が生じることがありますが、男女間においてもありえます。そういう時こそ、包み込む気持ち、相手の頬を撫でる心優しい風を送ってください。互いの中に愛の風が通ります。何とかわかってもらおう、わかりたいとすると力が入ってしまいがちになりますが、どんな時も母のような大らかな目で、心で包む気持ちでいてください。
そして、愛する人の一挙手一投足に反応することなく、慈しみ励ましわかってあげてください。
『忘己利他』という言葉のように、自分の心配事より相手を心配思ってください。
真実の愛には困難があるかもしれませんが、そういう時こそ、このような思いを忘れないでください。


感動

愛は人の心を動かし感動を与えます。愛は感動。心に触れるものです。
感動を、愛を感じてください。


真実の愛の気付きは

真実の愛は、幸せな状態ではなかなか気付きにくいものです。困難な状況にある時こそ、わかります。
いかなるときでも愛の光が照らしてくれます。


事象を越えてわかること

人生には思わぬ転機が訪れ、昨日までの自分と違った時間、過ごし方をするものことがあります。
自分がどうしたいのか、どうありたいのか、など方向性をみつめ、
「こうありたい」と強く願い思う気持ちを背中を押してくれる人、協力者は必ず居てくれます。
「この方がいなかったら、今の私はない・・・」人は一人では生きられません。
互いに支えあい、歩むことで、沸き起こるどんな事柄も、一つ一つ学び、越え、わかることがあるのです。

出逢いという必然的な奇跡、そして、過去への執着は忘却に任せ過去完了にし、
今を大事に「これから」を築くことが、それが「今できること」なのです。
どんな時も許す心、自由な心は、愛そのものです。

例え、アクシデントであっても、ある出来事から、人は人の温かさに導かれ
心の奥の柔らかさに触れ、本当の優しさに出逢うのでしょう。

愛と感謝をいつも送ります。


真実

それは永遠です。
形あるものは壊れますが、真実の思いは愛の不変、そして真実そのものです。
永遠にかわらないものは大事に思うこと、思い合うことです。
素敵な真実のひとつで、決して消えることなく心に刻まれます。


今あることは

過去があったからです。どんなことも過去となり過ぎ去っていきます。痛みを悲しみも。
心は立ち止まらないでください。仮に例え愛を失っても愛を信じてください。愛は全てを包み込んでくれます。
心を開いてください。そして気付いてください。


内なる美(インナービューティー)

愛する人を愛することは自分自身を愛すること大事にすることです。


甘え

決して困らせようとしているわけでもなく、試そうとしているわけでもない、そんな甘えも時にはあるようです。
好きだから、安心しているから、自分を出せるわけで、それがどう表現してよいか分からずに、甘えという形ででていることがあるかもしれません。
そのような時は、「大きな子供」だと思って、受け止め、理解してあげてください。
安心感を与え、忍耐強く包んであげてください。
そして、許してあげて下さい。


優しい嘘

大人も子供も嘘をつく時があるでしょう。相手を守る嘘(ポライトライ)は優しいさの一つの表れですが、それとは対照的に明らかに嘘とわかる嘘があります。例えば親に嘘をつく子供がいたとします。親はそれを直ぐに嘘だとわかります。嘘を指摘し責めるのは簡単です。でもそれでは怒りの言動になってしまいます。それでも信じてあげることなのです。嘘丸ごと信じてあげることが大事です。親の愛は無償で見返りのない愛で、相手をあるがままに受け止めることは、覚悟と忍耐の愛でもあります。


許しあい(許し愛)

相手に甘えたいという気持ちがあるとします。それは、心を許し安心しているからこそ出来ることであります。
なかなかストレートにありのまま表現することが難しい時もあり、それが自分でも思いがけぬ別物となり、互いに傷つく場合も少なくないかもしれません。
「本当は、こうしたかった・・・」と、その一言がいえなくて、自己嫌悪やまたは相手に悲しい思いをさせたということはありませんか。心の寂しさ、潜在的な恐れ、不安が根底にあるからです。
沸き起こる感情は互いにあります。どんな時も、やわらかな愛で包み、溶かしてください。
許しは愛、勇気、心の自由を与えてくれます。
信じましょう。気持ちを。愛する人を。その愛を。


愛すること

愛に一生懸命すぎて思いを遂げたく、分かり合いたいという気持ちが、いつしか、「わかって欲しい」と求める愛に変わってしまっていることありませんか?時にそっと見つめる見守る愛、見返りのない愛、愛は与えることで、愛の幹が太く力強く大地に根を広げます。


愛がもたらすもの

愛が教えてくれることがあります。その時は、禍中にあり、気付きにくいこともありますが、そっと優しく教えてくれます。この世は愛に満ちています。
愛は、人を本当の意味で強く優しくします。それだけに色々な感情、思いが互いに沸き起こるので、余計難しくなることもあります。
愛に泣いたり笑ったり、ちょっとしたことで一喜一憂したりと、様々です。その思いを越え、わかる真実の愛は敬愛かつ崇高です。
いいのです。愛することに疲れたりしても。
全ての思いを受け止め、感じることで肯定し、ひとつひとつ見つけていくのです。
バイオリズムもあるので、人生の流れに身を任せるのもよいです。


優しい気持ち

男女の差異は時に起こりえます。どんなに思い合っていても、否めないこともあるかもしれません。
どんなこともどんな時も相手を信じ、見守ることです。たとえ、相手の嘘がわかったとしても、全て受け止め、承知の上でとことん信じましょう。それも愛です。慈愛です。
人間は完全ではありません。人間だから人間らしいのでしょう。


真実

崇高な真実は決して誰も傷つけません。いかなることがあろうとも、事実の奥には深い真実があります。
愛の真実を見つけてください。


出会い

時間、場所、タイミングが揃い、偶然という出会いの奇跡が舞い降りる時、普段だったら逢うことのない人と出逢うことがあります。出逢いというギフトに感謝です。


視点

相手の気持ち(どんな状態)にたって思うことで、受容・寛容・大きな心が芽生えます。
安心、平穏さ・平和は愛の産物です。

愛は時に忍耐強く全てを受け止め、包み込む覚悟も伴います。
自分が自分である以上に、相手がありのままでいられる自然体を大事にしてください。


信じる気持ち

信念、ゆるぎない気持ちはありつつも、人間であるがゆえに、どうしようもない気持ちになったり、一喜一憂することもあります。
例えば、言葉。一言で嬉しい気持ちになったり、またその一言で悲しんだりします。何気ない言葉に傷ついたり、さっきまで信じていたことがかげろうのように映ったり・・・と様々な思い、葛藤もでてきてしまいます。
信じ続ける、信じぬく思いは、自身の芯がベースです。


人生美

ハートの内側に目を向けましょう。本当の心の平和を見つけるでしょう。


笑み

笑顔はどんな雰囲気でも、人の心を和ませます。微笑めない時こそ、目をとじてハートに微笑みかけるのです。
あなたの笑みは自身の心も相手の心も温かに照らします。
スマイルパワーです。


許しあうこと

慈しみ、安心を与えることで愛の絆が深まります。
受け止める心、認める気持ちが寄り添い、一層、感じる愛がわかります。


愛の違い

恋愛は求め合う愛で、どんなに愛を注いでも常に求め続ける男女間の愛、まさに渇愛です。
一方、無償の愛は、他己愛で、慈愛です。


愛の力

愛する人へ出来ることは、愛すること以上、静かなる見守る愛、信じる愛、願い、祈ることです。


愛の伝え方の様々

相手のことを思い、自分ができることを相手にしたとします。それも愛情の証であり、アクティブな愛情表現の一つです。伝えたい心、気持ちがあるからこそ、できることです。

たとえば、それを動的愛とします。
「見守る愛」は、時に忍耐・寛容を伴います。見返りのない愛、大愛へと深化するものです。
それを静的愛とします。
はやる気持ちを相手に伝える、その伝え方は、まさに、無のまま静かなる「信頼」という愛でしょう。
無償の愛は真実の愛でもあります。

その時、その状況、相手の気持ちに合った表現が自然にできるといいですね。


大きな心とは

愛すれば愛するほど、たとえ、わかりあっていたとしても相手の思いに近づきたいと思うものです。どんなときも。だから、そこに誤解や行き違い、寂しさが生まれます。どんなことも、愛で、受け止め返してあげてください。心の余裕は自他共に救いがあります。


今あることを大事に、そして・・・

伝え合うこと、思いは大切です。
本当に心から思い、どんなことがあってもかけがえのない気持ち、相手を思う気持ちがあれば、これからどう愛するか(愛し合うか)以上に、いかに愛を伝え合い続けるか、が大事です。
愛は、覚悟、許し、癒し、全てを越え、無償なるものです。心に芽生えた愛を慈しみ、育て合っていきましょう。

今を愛してください。


大切なひとへ

どんなに(どれほど)愛しているか気持ちを伝えたい、伝え続けたいものです。愛のメッセージそのものですね。


愛する人との時間

今日という日「今」を大切に、一緒に過ごす瞬間瞬間、小さな喜びの一つ一つを思い切り感じてください。


どんなときも

愛こそ全て。
愛に溢れた言動は、自らの心や大事な人の心を照らします。どんな暗闇でも、やわらかに灯します。
明るさは、暗闇を知っているからこそ、よい輝きに満ちるのです。

愛は、時に忍耐と伴い見守るものです。
問題を解決しようとしなくてもいいのです。その事柄の事実の奥に真実があるのです。
「成る」ときを信じて、ただひたすらに、理解、心をわかろうとする思いが大事です。


本当の思い

本当に思ってくれるからこそ、心配してくれる人、教えてくれる言葉があるのです。
愛に感謝しながら、その温かな言葉、心の表現を愛で受け止め、愛で返しましょう!


愛の違いと男のプライド

男女の愛の形、表現は違うものです。
たとえ思いがあったとしても、表現できぬ状況で、あきらめなければならない心、気持ち。素直にいえぬ心のうち・・・。男性は女性以上に思い悩むべきことで心を費やしているかもしれません。『男は辛いよ・・・』ただ、言葉に言えぬだけかもしれません。


男心、女心・・・分かち合いたいものです。


孤独の意味

「個」と「弧」。本当の孤独を知る悲しき愛の深さよ。
愛すれど一人。愛は愛のままでいられないけれど、我が愛を愛する人に伝えたいし分かち合いたい。まして、愛されたいと願う。

それは愛を知る人だけがわかる愛の苦悩そして深さ、究極の愛。
だからこそ、愛を感じてください。愛の誤解、孤独、情の果てを。何かが見えるはずです。


愛は

GIVE & GIVE 与えるもの。

愛を感じ、愛で自他共に満たすためには、相手の喜びを自分の喜びとし、安心・愛情・優しさなど、心照らす心を与えることです。それが恋愛の域を超えた真の愛、無償の愛、見返りのない愛です。


恋愛・人生にお悩みの方へ

「愛」「忍耐」「寛容(包み込むこと)」で真実をみつけてください。


メッセージ

生きていくことは、ひとつのメッセージ

愛を伝えるため かけがえのない確かな愛に出逢うため

生きていくことは愛し愛されること

大切な人へ あなただけのメッセージ伝えたいですね。


古より変わらぬこと


それは、人を心から想う気持ちです。「恋」と呼ぶには簡単過ぎ、より深い愛情です。

人には、それぞれ生きていく上で、背負う命題みたいな境遇があります。現実と向かい合い、必死で生きることは、人を愛すことと同じくらい大事で大変なことでもあります。

どんな哀しみより、愛する人との時間は、辛さを越えます。依存型の恋愛関係ではなく、互いが個として、自分を生きているからこそ、現実の背景、辛さやどうしようもない状況をより強く逞しく生きれるのでしょう。
愛は、そんな苦しみより喜び幸せを与えてくれます。

愛そのものがあれば、愛する人の傍にいるだけで、幸せを感じることが人として女性としての至福といえるでしょう。愛が教えてくれることは、どんなことでも喜びに変える前向きな気持ち、「生きていく強さ」と「深いやすらぎ」です。


愛と孤独


愛は恋より深く慈悲慈愛に満ちています。そして、愛と孤独は背中合わせのようでもあります。
この世は、すべてうつろいゆくもの。川の流れのように留まっていることはありません。人は忘却ができるので、悲しみも、苦しみも、「時」が癒してくれることがあります。

愛するがゆえに、孤独と出逢い、無常さを知ります。喜びも悲しみも、1つの情から生まれて消えてゆきます。
それでも人は人を求め、愛、心の触れ合い、ぬくもりを欲するのです。

人に理解されない時、孤独と虚しさを感じることでしょう。

「孤独とは、まわりに人がいないために生じるのではなく、自分にとって重要だと思っていることを他者に伝えられないことや、自分が他人の許容することのできない何らかの観点を持つことにより生まれる」(ユングが自伝の中で記しています。)

愛には、「理解したい」「理解されたい」という願いもあります。
自分が自分であるために、わが道を行きながらも、賛同し共鳴してくれる人を望みます。肯定、認められたいという思いから。
それは、社会性や地位、名誉、物質的な容認より、「心」真実を求めているからです。心のやすらぎ、相互理解は、人として、愛を感じる、幸せそのものです。容認、許容は、無心な大愛ですね。

無常さ孤独と向かいあい、知ることで、わかることがあるのです。


愛と「個」

愛は見守ること
それは「個」を大切に 尊重することから始まる信頼感です。

違う人間同士が、同じ気持ちでいて、寄り添いながら生きることは、異性間を越え、人間同士の愛を育てていくものです。

好きだから全てを与え、求めあう・・・
たった一度しかない人生だからこそ、大切な人に、どんな時も正直でありたいものですね。
ぶつかり合ったって、誤解があったって、いいのです。互いの愛がある限り。愛は時に忍耐強く、気高いもの。覚悟と譲れない思いのもとで。


愛は紡ぎ合い 紡ぎ愛

何気ない日々の暮らしの中で手放したくない譲れない想いありませんか。

想い合う心 愛を感じるとき、過ぎ行く時の中で確かなこと、それは愛です。
愛は様々な愛です。大愛こそ、無償の愛です。

愛に戸惑いながらも、愛し愛され愛を感じてください。
与える愛を、どうぞ心から。


やすらぎがもたらすもの

それは、事実の奥に隠された真実。現況がどうであれ、心穏やかに。

よいところ、よい部分をみつめることで、それが光となり、どんな暗闇でも照らすのです。
真実をみつけることは、光を感じることです。それは、無償の愛。愛が教えてくれるもののギフトです。


永遠 (『エンジェルポエム』より)

果てしなく続く道の先に何がみえるのでしょうか?

愛の言葉や見つめる眼差し
抱きしめあった温もり 鼓動
今ここにあるすべてが一瞬になり通り過ぎていく
消えない足跡を残して
愛の道しるべへと続いていく

瞬時に生きること どんな瞬間も大事にして
そうやって一瞬一瞬の連鎖に心を紡ぎ合って
生きてゆくのだろう・・・
それを永遠と呼ぶのでしょうか


愛について

自分を大切にしていますか?愛を求めることはいいことですが、
愛は与えられるもの、愛されることや愛を与えられことばかり求めていませんか?
一人で立っていること(自立)一人でも幸せを感じられることで初めて、
二人で幸せを実感できるのです。精神的な依存はもちろん、自分を自分で受け止められることで、
相手を包めるのです。それが安心でもあり、母性でもあります。
(母性は、子供への愛だけではないのです。人間愛も含むのです)

「相手に幸せにしてもらう」(ほしいほしい)と思うことより「相手を幸せにしたい」愛も幸せも、
与えることです。

愛は「自愛=慈愛」でもあります。ハートフルな愛をコーディネイトしましょう。


恋と愛の違い

恋は相手を好きな自分から始まり、エゴを伴う自己本位的なもの。

愛は無償。
相手本位。相手の幸せを願うから、自分ができることあれば「なにかしたい」相手を思うから。
愛する人の苦しみも喜びも共に分かち合う、心を寄せ合うもの。

恋に裏切りはあっても、愛には裏切りはない。
愛は「たしかなもの」唯一。
愛は許しあうこと。
愛は全て。「真実の愛」みつめたいですね。


ハートのオーラ

肉体と魂は愛する人との触れ合いにより、本来個人のエネルギーが、より愛情パワーで
パワーアップします。
愛の表現、触れ合うことは、魂の結びつきをも強くし、オーラの融合・調和をもたらします。
是非、愛する人に触れてください。


愛ゆえに愛する


大事な人の心に触れたい
全てを分かり合いたい
喜びも悲しみも
過去の痛みも

痛みに触れるのは簡単なにの
その苦い思い過去を癒すのは難しい

見えないからこそ
心の奥まで照らしたい
全てを抱きしめたい

「エンジェルポエム」より

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恋はするのではなく落ちるもの・・・、と言うかもしれない。でも、恋はできるかもしれないけれど、愛は恋の域を超えるもの。遥か。愛は自分の想いより相手の想いを抱きしめること。全てがわかるもの。愛すること愛されること。愛はシンプルかもしれないけれど深く果てしない想いがあるもの。無償の愛。愛は、時に忍耐強く、慎み深く、豊かで絶え間なく、決して誇らず、常にあるもの。心まで照らすもの。愛ゆえに君を愛す。想いは巡る。二人の時空を越えて。


愛は敬愛。どんなことも越えてほしいと思います。
大事な人の心の叫びを心の目でみて聞いて受け止めることです。
本当の愛、真実の愛を。


何を幸せだと感じますか?

幸せは、喜びの紡ぎあいで、どんな時も光を見出せる明るい心の中に訪れ現れるのかもしれません。
例えば、大好きな人の笑み。共に感じる穏やかな愛。一緒に越える苦悩。分かち合える心。愛し愛されている実感。相互理解。心の満足は幸せだと感じれる気持ちから始まるのですね。
愛で大切な人を包みましょう。どんな時も。愛は、時に忍耐強く慈しみ深く、思いやりに富み、高ぶらず、常に穏やかに照らすもの。愛の目で。


愛の休息タイム

安心する空間は大事です。ホッとしたり、やすらぎのひと時は、穏やかな愛の流れでもあります。


心を満たすものは

多くを持ち、さらにもっと欲しがる人、足りないと思う人と、少ししかしかもっていなくても、満ちる人がいます。それは、物質的豊かさがもたらす外的幸せと精神的心理的な面で心の平穏・調和・平和がもたらす内的幸せがあります。何を幸せと感じるかです。何を信じ、何を大切に感じるかなのです。真の幸せとは。


心の扉・その鍵

愛する人の過去の傷や痛みに触れるのは簡単なのに、それを癒すのはどれだけ時間がかかることでしょう。過去があるから今があるのです。自身を許し、解放することで、調和・癒しが訪れるのでしょう。


心に触れるには

例えば「愛する人をもっと分かりたい。」「自分の想いを心からわかって欲しい。」と愛をさらに深めたいと思う時があるとします。「今」を二人で生きたい、どんな時も。相手の心の扉を開きたい、と願い、出来ることは、ただひたすら愛で照らすこと、受け止めることなのです。愛情は時に冷たい風が吹き冬を迎えても、冬の寒さがあるから、春が、より暖かにやわらかに感じられるのです。生の息吹を。
人生においてもそうです。闇があるから、光を明るいと感じられるのです。
愛は、相手を尊重すること。それは、たんに同意することでなく、同調、認め受け止めることなのです。違いがあってもいいのです。理解できなくてもいいのです。愛は決して変わりません。無償の愛は、与えることで与えられることを期待はしないのです。
誰も本人の苦しみや過去の痛みを変わることはできません。でも、その辛さを理解し、癒すことは十分出来ます。「あなたの苦しみに比べたら、何てことない」愛は強く忍耐も教えてくれるでしょう。


愛が与えるものは

安心感と信頼、温かさです。


愛が教えてくれるもの

愛は、辛抱強く思いやりに富み、静かで力強いものです。時に自己の弱さと対峙することがあり、相手を通して、愛の真髄を知ることでしょう。愛は自己を映し出すでもあります。今の自分を知るため、天使が人や出来事を通じ、メッセージを伝えてくれるから。愛は負けない。屈しない。強い信念それがゆるぎない愛です。自分のことより相手を思う広い心。

ただひたすらに愛すること。愛を与えること。愛は優しく強いもの。そして、ハートで与え合うもの。


たったひとつ・たった一人を

本当に愛せるのは、たった一人。大切に思えるものは、たったひとつ。かけがえのない想い・愛を感じてください。


一期一会な気持ち

それは、その時、その瞬間を大事に最大に味わうことです。相手と出逢い過ごす時間を喜びで共に感じることが幸せを愛を紡いでいくことへ繋がります。


愛の源

愛は、「求め探すもの」ではく、「見出す」ものです。愛されたいと願うならば、愛を請う前に、自己をみつめ、愛で満たしてください。内側にある内在する自分を取り巻く光を見つけてください。
どんな時もあなたは愛されているのですから。決して一人ではありません。


すれ違いや誤解について

小さな、些細なことからはじまる、ちょっとした誤解は心の隙間をぬってくるようです。受け取る愛、与える愛があるのかもしれないけれど、愛は愛のままでいられないし、時には泣き笑いすることもあるかもしれない。
「分かり合いたい」「分かって欲しい」という互いを想う気持ちがあるが故のことで、魂の心の叫びでもあります。相手を想いながら言動は、純粋であるほど、不器用で無防備なものです。上手く伝わらなかったりすることもありかもしれません。でも、どうやって伝えるかより、何を伝えたいかという想いが大事です。
愛は強くて優しいもの。そして、見守り信じるものですね。


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