今週のRITSUKOの思い

十月

中秋の名月、そして満月の夜は、いつもより空が澄んでいて凛とした月の光が、より一層美しく見入るものです。
同じ月を、別の場所から、時間のバトンリレーのように、見ている人たちが世界中にいます。
どう感じるか、感じる心を話せる人とのコミュニケーションは、大事です。
それは、人間を育て、温かい心の灯のようです。

ソウルフィーリングを高めましょう。


九月

自分を知ることは、真の知、価値を知ることになります。

自身のことは一番自分がわかっているようでありながら、本当のところは、
知り難いものなのかもしれません。
人とのかかわり、心情が教えてくれることもあります。


訪れるもの、今あることを大切にしましょう。
全ては誘われ、導かれています。

今すぐに意味や答えを求めなくてもよいのです。然るべき時、わかることでしょう。
本当の、真実を。


九月は、2学期、会社では、人事異動、など、秋の始まりを感じます。

新しいこと、良いと思われることを始めるのに、良いときかもしれません。
自分に良いことは他にも放つ光となります。
男性は、知恵。女性は光。(精霊界から霊界においてのレベル)
調和することで、魂格、心格が育ちます。(人格を越えた、品位)

現世、今を生きることは学び気付きの毎日です。

一歩踏み出し、始めましょう。



八月

台風の接近で風雨が強まってきている日曜です。
明日は台風一過の晴天になることでしょう。

人生も晴れたり曇ったり、風雨に見舞われたり、と様々です。
明けない夜明け、止まない雨はありません。
心一つで、状況打破も変わります。

「大丈夫!」と誰かに背中を押されたり、支えられたり、頼ったり、認められたりと、
理解されたいと人は願うものです。
相互理解、心の結合、調和、平穏を望むことでしょう。

微笑むことが難しい状況でも、鏡に向かって、少しだけ、口角を上げ、
「微笑みましょう」
そして、自分を元気付ける言葉で、勇気の魔法をかけてみませんか。

愛が愛を呼びます。




自分を成長させてくれる人と、自身を楽にさせてくれる人とは違うものです。

人は誰しも安らぎたい、安心してもたれかかれる存在を求めます。
見極めは大事です。
心の声に従いましょう。




何気ないことで、傷ついたり、誤解があったり、
「こんなはずでは、なかったのに・・・」などど、悲しい思いをしたりしませんか。

人と人とのコミュニケーションは時に難しかったりします。

それは、受け取り方の違い、個人の「自分(個)」というものの在り方(出し方)によることがあります。

根底に、「理解されたい、わかって欲しい」という思いがあります。
理解されたいから、相手を理解したいし、共感を求めます。
人は、求めることで、期待や執着が出てきます。

考えれば考えるほど、修正しようと思えば思うほど、
何とかなることがならなくなってしまうことがあります。

「無」の立場で、「沈黙」「黙想」し、その場から心を移します。
静かなる安心できるところへ。

そして、手放すのです。
ちょうど、万歳=降参、することで、知らずに縛り付けている感情を手放すのです。
心が軽くなります。

あきらめることは諦めるのではなく「明らかに極める」のです。
心の錘を一つずつ手放しましょう。




人間の真実の姿をみることがあります。
それは、極限のときに、どういう姿(心意気、思い、言動など)が表れるか、です。
人は人によって、様々な場面で色々なことを思い、知ることがあります。

知ることにより、受け止め、流すこと、放っておくことなど、感情を越えた対応を学ぶでしょう。




七月

同じような毎日の中でも
日々、いろいろ起こったり、それにより予期せぬ気持ちになったり、人はします。

泣いたり笑ったり、闇夜に包まれたり、夜明けをみたり、様々です。

前向きに歩いていくために、限界を超えて頑張るより、タイムアウトをして
距離をつくり自身を守ることも必要かと感じられます。

「わかっているから」「もう、そんなに頑張らなくていいよ」
その一言、その笑みが全てを抱きしめてくれることでしょう。優しい言動は自他共に安らぎと勇気を与えてくれます。

やわらかな光が愛とともに訪れます。



週のはじめは、特にいつも行く、お気に入りの神社へ詣でてきます。
私のスポットともいえます。
都会の喧騒から離れ、境内には、戦後焼け残った痕のある大きな木は、時を経て、幹太くなり、葉も生い茂り、優しさと癒しとエネルギーを感じます。歴史から人間は学ぶことも多々あります。過去を認識し、今へいきます。

耳を澄ますと、生命の言葉を聞きました。
「朝の来ない夜はない。止まない雨はない。過ぎない嵐はない。時の流れが成り、知らせてくれることがあります。」
人は、気付くことから、はじまる何かがあります。
どんな嫌なことや苦悩が続いたとしても、やがて、良い方向へ変化するときが来ます。闇夜は永遠ではなく明るい朝の輝きが必ずやってくるものです。
だから、どんなときも諦めずに信じて努力をし、歩み続けることが大事です。


どんな愛も、「当たり前の愛」はないものです。
愛は慈しみ深いものですね。


六月

安心を与え、感じることは、心の安らぎに繋がります。

人は、わかりあいたい、もしくは「わかってほしい」という思いがあるため、言葉や何らかの伝達をしようとします。
「理解されている」「わかってもらっている」とわかるだけで、心が落ち着くものです。



その人の目線で、気持ちを慮って「解する」こと=ただ、示すだけそれだけでよいのです。
互いの気持ちを楽に和らげることになります。



歩み寄り、寄り添う気持ちがあれば十分のように思われます。


事実が教えてくれるもの、導きの奥に「真実」があります。



五月

失って得ること、それは、気付きによって始まります。
気付き、事実を直視し、受け止め、ありのままをみることです。
今までとは違う何かに出遭い、様々な感情を越え、掴むことがあります。


何気ない毎日の生活の中で、当たり前のことこそ愛しくありがたいものです。
朝、目覚め、手足など身体自由に動くことなど、普通のことの中に、喜びがあります。
感謝の心で、過ごす日々は、どこか穏やかで柔らかな感じがします。


人を思う気持ちは、様々です。

親への家族愛、友情、男女間の恋愛など・・。
人は人により活かされ、係わり合いの中で、自分という存在の位置確認をしたりします。

愛情と優しさについて。
本当の優しさ、愛情は、自己を越えています。

最近、心に響いた言葉を御紹介します。
「優しさは、自分の一部分であり、愛情は自分の心の全てです。」
私にとって、意義ある深いフレーズで、いつまでも心に残っています。


反応しないことが対応することであるときもあるでしょう。


どんなことも時の流れが解決するものです。
四月

旅立ちのとき

見送る人、見送られる人、それぞれ、世界は異なっても、魂に境はありません。
人は、生きたように最期のときを迎えます。「わかること」があります。全てにおいて。
それが真実を知ることでもあります。


月の満ち欠け、引き潮、満潮など、自然がとりなすことにおいて人間に影響を与えます。
宇宙に惑星が点在するように。

生きることを見守ることと同様に、死に直面してゆく姿に手を差し伸べ、
今、自分が出来ることを精一杯し、介護や看護で、お世話すること以上に
『心を尽くし与えること』が大事です。

苦痛は代わりたくても代われない、病巣を取り除くことは困難です。
だからこそ、少しでも緩和し安らいでくれる状態を作ること、導くことです。

どんなときの笑顔で、微笑みを。


真の祈り

例えば、ここに重病を患った人がいたとします。医療の力でも難しい状況にあるとき、
私達は、様々な形で心から祈り、願います。

それは、どのような祈り方でしょうか?
「病気がよくなりますように」と祈りますか?
私は、「痛みが和らぎ、苦痛から解放してください。安らかでありますように」と祈ります



見つめる愛、見守る愛、大きな偉大な力に包まれ育まれています。
大空に抱きしめられるように、大愛を感じてください。
それは、優しくて、やわらかで、温かいものです。

三月

暖かさや寒さが戻ったり、冷たい雨にそっと濡れ、佇んでいる庭先の梅や桜の姿をみていると、春先の陽気が感じられます。
厳しい寒さを凌ぐ冬があるから、蕾も心も開花するのです。
そっと吹き抜ける風に心の耳を傾けてみましょう。
あなただけの春が感じられることでしょう。



正しいことと見えることがあったとします。そして、それとは対照的な発想・考えがあったとします。
双方は、間違ってはいません。決め付けることはできないからです。
本当に「正しい」とは、人が「そう思える、見える」だけなのかもしれません。

肯定し認めることで、意外な発見、喜びが訪れることでしょう。
言動も人も活きます。生きるということは、活かすことでいきるのでしょう。

自由な発想・考えは、巡ります。しなやかさ、柔軟性は、大切ですね。



『突然』なことは、思いがけなくやってきたりします。
どんなときも心の平和を、そして、今を大切に、『出来ること』を精一杯しましょう。



魂は永遠です。

この世には、病気や災害など思いもかけぬ出来事が起こりえます。
肉体の苦痛、精神の煩悶など、生きていくことはシンプルでありながら、深い学びが沢山あります。

命は与えられた灯ともいえるでしょう。肉体が滅びたとしても、魂は永遠にそばにあります。
生死を垣間見て思われることがあります。



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